散文、徒然と・・・(絵と音楽)
概要
なんとなく徒然と書いてみる。前半は蛇足。
絵が好きだ。
絵を描く事は何かを作ると言う行為の中で1番簡単にとっつけるものだと思う。作る喜び・残せる喜びは人間の感じる喜びの中で最も大きなものの一つ。その喜びを1番感じやすく、そして誰もが経験する「絵を描く」と言うことが、自分の今までの人生の中で重大な働きを影響を持っている。これからもそうあり続けるだろう。
描いた物を人に見せる時もまた、大きな感情を伴う。自分が作ったものを見せると言うだけで喜びを感じ、反応を待つ時の緊張や期待・不安、高評価だった時の嬉しさや低評価だった時の哀しさ・気まずさ・恥ずかしさ。自分にはこれらの感情全てがプラスに働く、云わば快感になる。嬉しい気持ちはもちろん、低評価だった時の気持ちも、得られるものが大きいから自分にとっては良いものなのだ。
どんな失敗作でも、どんなにヘボいものでも、出来上がったものは必ず複数の人に見せるようにしている。人の反応こそが1番の利益だから。誰にも見せずに隠すよりも、見せて反応を貰う方が何倍も何百倍も良いと思っている。
絵を見る時も、得るものは大きい。何かを感じ、影響され、感動する。綺麗なものや格好良いもの、不思議なもの、見た瞬間に色々な言葉や言葉にならない何かが次々に湧いて出てくる。次に技術的なことを考える。どう描いたのか、何を使ったのか、自分の知る限りの全てを使って考えを張り巡らす。最後に、作者のことを考える。何を・どういうものを表現しようとしたのか、何を思って描いたのか、描いた時どんな精神状態だったか、想像してみる。
しかしやはり、初め見た時に出てきた「感想」が1番大きく膨らみ、1番大きな影響を自分自身に与える。絵を見ることによって沢山のものを得ると同時に、その絵を見る前の自分を失う。見る前の自分より見た後の自分がプラス方向へ成長したのなら良い絵、マイナス方向へ成長したのなら悪い絵、と区別するようにしている。でも、良い絵を見ても悪い絵を見ても「見た後の自分」の方がより大きなものだと信じているので、どんな絵でも機会があれば全て見るようにしている。
記憶を糧にした時、絵は音楽に勝てない。
本来勝ち負けなんてないんだろうけど、実際印象の強さは自分の中で「映像>音楽>音>絵」になっている。映像は思いでそのもの。音楽は思い出の主役になることもしばしばあるし、音楽から思い出が甦ることも多い。映像や音楽は思い出と強い繋がりを持つ。絵が思い出になることもあることはあるが、明らかに少ない限られたものだ。記憶の中の絵は映像の一部として出てくる脇役ばかり。
作品そのものにメッセージやストーリを含み、尚且つ見る側・聞く側それぞれにその作品の意味がありストーリがリンクする。そして感動を与え、感動を生む。芸術はすごい。中でも音楽はその力が強く、聞く側に大きく影響する。聞く側の意味やストーリへ強く繋がるため作品自身にメッセージは不要とさえ思えるものもある。映像とは別に入ってくる情報だから映像や言葉とリンクし浸透しやすいのだろう。
しかし、絵も大きな可能性を秘めていると思う。何かを感じさせたり、伝えたり、と言った性質的には音楽と何ら変わりはないし、絵が主役になることも多からずある。音楽よりも身の回りに溢れていて音楽より映像に近い。ハマれば音楽よりも大きな力を持つ。ただ音楽より人間に入り込みづらいと言うだけだ。実際自分の中にも、エピソードと共に強烈に記憶に残っている絵がいくつかある。そして鮮烈な感動は、それだけで思い出になり強く記憶に残る。
可能性を秘めているとは言え、それを作品として形にすることは難しいし、見る側ありきな部分も大きい。しかし不可能ではないので、いつか、音楽にも勝る、映像にも勝る、そういう絵が描けたらと思っている。人の中に残り、未来に存在し続ける作品が最大の目標。何かを残すと言うことが人間の本能であり人生の課題だから。
by YuKiNKO
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